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【連載:三浦優希の海外アイスホッケー挑戦論 vol.2】人生が大きく変わった”高校二年生”(前編)

アウトドア・スポーツ

高校選択とアイスホッケーへの情熱

私はもともと、ずば抜けて上手な選手ではありませんでした。当時から東京選抜や16歳以下の日本代表強化キャンプに呼ばれたことはあるものの、決して全国トップレベルのプレイヤーではありませんでした。

体格が良いわけでもなく、身体能力も高くありません。それでも、元々プロ選手だった父の存在、チームメイトや練習環境に恵まれ、中学を卒業するときには国内ではトップレベルである北海道の強豪校複数から「うちの高校にきてくれないか」とオファーをいただくようになっていました。そんな中、当時の私は「高校は早稲田実業に入りたい」という思いを持っていました。

理由としましては、


①関東出身の選手が高校から北海道に行く風潮がある中、自分は東京に残り北海道の高校に勝利したいという思いがあったから

②文武両道を求めていた


などが挙げられます。

また父親が当時早実アイスホッケー部のコーチをしており、まだ彼のもとでホッケーを学びたいという思いや、早稲田大学でプレイすることに憧れていたということも要因の一つです。

ただ、早実に行くということは、ホッケー上達という観点から見たら決して一般的な選択とはいえません。北海道や東北のチームの方が練習時間も圧倒的に多いし、部員全員が10年以上ホッケーを続けている選手たちで作られているようなチームに対して、早実の部員は、半数以上が未経験者(高校からホッケーを始めた人たち)で構成されています。

かつ、練習を確保できる回数も週に2-3回でした。はたから見たら、ホッケーに集中する環境ではないといわれてもおかしくはありませんでした。それでも僕は、明確な意思と覚悟を持って受験することを決めました。そして、幸運にもスポーツ推薦枠に合格し、晴れて早実での高校生活がスタートしました。ただ、現実はそう甘くはありませんでした。

早実での挑戦と初年度の挫折

自分が入ることでチームは強くなるだろうと高を括っていましたが、高1の夏の全国選抜、冬のインターハイでは全くいい結果が残せず惨敗。何の活躍もできずに大会は終わりました。地元開催の国体でも一回戦負け。関東代表強化プログラムのメンバーにも落選。とにかく自分の無力さを突きつけられた一年目でした。自分にとっては初めての大きな挫折だったかと思います。

当時の自分は「他人任せ」な部分が多くありました。点数を取られても、得点を決めることができなくても、それは仕方ないという考えを心の中で少なからずもっていました。高校一年生の時は、責任感というものを理解していませんでした。

心境の変化とチームリーダーとしての成長

二年目に入り、チームは新体制になりました。このころから少しずつ心境に変化が出てきました。「自分がやらなければこのチームは勝てない。」「まずは自分が点数を取ってこなければ。まずは自分がチームを楽にしないと。」と意識するようになりました。

これは決して個人のエゴを出しているわけではなく、チームを勝利に導くためには自分がどんな状況も打開しなければいけないこと、そしてそれをチームメイトから求められていることがわかったからです。これは、早実が経験者と未経験者からなるチームであったことが大きな要因ですが、この環境は私を大きく成長させてくれました。自分の役割・責任がはっきりとわかりました。

この時に得ることができた教訓は、いまだに私の中で大切な要素となっています。現所属チームや日本代表のユニフォームを着て試合に出ることの責任を感じることができるのも、この時の経験が多いと思います。

全国大会での躍進と感動の勝利

そして迎えた夏の全国選抜大会、早実は順調に勝ち進み、ベスト8をかけて強豪苫小牧工業高校との試合を迎えました。下馬評では苫小牧工業の圧勝といわれていましたが、早実はそれを覆し延長戦の末に大金星を挙げることができました。

この日を思い出すと今でも震えますが、本当にチーム一丸となってつかんだ勝利でした。全員が、勝利のために自身の持てるすべての力を出し尽くしました。

最初は空席が目立っていたリンクも、試合の様子を聞きつけ集まった観客で埋まっていきました。後日談によると、その試合は決勝戦に次ぐ観客数だったそうです。

その日は5対4で勝利しましたが、延長戦の決勝点と4アシストでチームの勝利に貢献することができました。自分がずっと目標としていたことが体現された瞬間でもありました。

さよならゴールを決め、勝利が決まった瞬間にチーム全員で抱き合いながら涙を流したのを覚えています。試合に勝って泣くなんてこの時が初めてでした。

当時の延長戦のビデオはこちらです。

第8回全国高等学校選抜アイスホッ ケー大会 早稲田実業 対 苫小牧工業 YouTube動画

ビデオをとってくれたマネージャーさんも感極まっていますね(笑)いまだにあの時の感動がよみがえります。

敗北から学び、U20日本代表への道を切り開く

結局、その後の試合では白樺学園高校に敗れ、ベスト4進出は逃してしまいましたが、結果的にこの試合は僕の人生を変える一つの要因となりました。なんと、その年に行われるU20世界選手権の日本代表メンバーにチーム最年少で召集されました。まさか自分が選ばれるとは思いもしませんでしたので、心から喜んだのを覚えています。

失敗を経たのち、自分なりに考え、行動し、それが初めて形となったのがこの時の経験です。今の考え方にも活きている部分は多くあると思います。早実に行っていなければ、この経験はできていなかったでしょうし、全く別の人生を送っていたでしょう。素晴らしい経験をさせてくれた当時のチームメイトには、本当に心から感謝しています。

今回伝えたかったメッセージは、自分がどんな場所にいようが、その先に何が起きるかは誰にもわからないということです。ステップアップの機会はどのようなタイミングで訪れるかは誰にもわかりません。大切なことは、いつ、どんな時でも、チャンスを掴む準備をしておくことだと思います。

さて、ここでとりあえず一区切りにしようかと思います。

次回は、「そんな僕が数か月後に早実を離れることになった理由」について書きたいと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。

1996年生まれ。東京都東大和市出身のプロアイスホッケー選手。 Lake Superior State University卒。17歳から単身で海外挑戦を開始し、現在は 北米3部ECHLに参戦するIowa Heartlandersにてプレイ。2023年5月より、 ニューヨークを拠点とするスポーツエージェンシーのLeadOff Sportsに入社 し、現役プロアイスホッケー選手とスポーツビジネスのデュアルキャリアをス タート。


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